「ひろしま社会起業支援サミット2010」
を開催しました!

・日時:2010年6月27日(日)
・場所:広島経済大学 立町キャンパス
 (市電「立町」からすぐ)

・参加費:無料

 当日の様子等がわかる「事業報告書」はこちらから!
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2014年09月24日

個々人の新しい生存戦略としての「みんなが社会起業家」論




「社会起業の担い手は誰なのか?」

社会起業の社会性のまとめにかえて、
考えてみたいと思います。

このテーマについて、
個人的には、以下の3つの切り口から、
考えてみたいと思います。

(1)現状、社会起業の担い手は3種類の人種しかいない
(2)「みんなが社会起業家」論・再考
(3)新たな社会起業の担い手について考える

今回からは、新たな社会起業の担い手について、
考えていくことにします。

とはいえ、「誰が」担い手になるべきかといえば、
「みんなが」なるべきだ、と考えます。

その点では、前回触れた、
「みんなが社会起業家」論とそう変わりはない。

今や、「お上が」「行政が」といった、
「そんなの、自分以外の誰かがやってくれ」
というのは、これからは難しいのではないか。

また、金持ち、暇人、意識高い系から、
1000万人に1人の「スーパー・アルピニスト」レベルの、
社会起業家が出てくるまで待つのか。

そして、「スーパー・アルピニスト」っていうか、
水戸黄門に基本丸投げ。

そして気にくわなかったら、叩き殺して、
次の水戸黄門が現れるのを待つ。

今後、それが本当に可能なのか?

実際のところ、これからも、
社会起業家っていうか、民間レベルの社会変革の中心にいるのは、
金持ち、暇人、意識高い系から生み出された成功者でしょう。
それは間違いない。

ただ、個々人レベルでも、
「みんなが社会起業家」とまでいかなくても、
社会に何かよいことをすることはできるはず。

で、これから考えていきたいのは、
「なぜ」、みんなが社会起業の担い手になるべきか
そういったテーマ。

「なぜみんなが社会起業の担い手になるべきかって?
そりゃ、市民の義務だからさ」

な〜んて、「道徳的なお題目」を唱えるつもりはありません。

そうではなく、それは、
今後の社会を生きていくための「生存戦略」になるのではないか。
そういったお話です。

カンのいい人はここで気づいたと思いますが、
以降のお話に使用するテキストは、

佐々木俊尚氏の『自分でつくるセーフティネット』です。





○従来とは真逆の生存戦略



この『自分でつくるセーフティネット』(以下、資料と記載)の結論は、
以下の4つです。

生存戦略として、見知らぬ他人を信頼すること。
生存戦略としての、多くの人との弱いつながり。
生存戦略としての、善い人。
生存戦略としての、自分の中途半端な立ち位置を知るということ。

これが、本書のシンプルな結論です。


と、資料に書かれている。

ここに書かれている「生存戦略」ってのは、
これからの社会における生存戦略。

これは、従来の日本社会での生存戦略とは、
180度真逆の生存戦略です。

だってそうでしょ?

従来の日本的生存戦略(?)では、

「人を見たら泥棒と思え」で、
家族や地域、会社の人との強いつながりをいかに維持するか。

そうではなかったでしょうか?

「善い人」「自分の中途半端な立ち位置」については、
ぱっと見分からないと思うので、以降解説します。

ちなみに、佐々木氏の提唱する4つの生存戦略は、
NPOやソーシャルビジネスの生存戦略として、
置き換えて考えることも、非常に有益です。

従来型のムラ型セーフティネットが崩壊中だから、
NPOやソーシャルビジネスという、
新たなセーフティネットをつくる必要があるわけで。



○インターネット「総透明社会」を土台にした生存戦略



今回は、佐々木氏の生存戦略について、
その土台となるインターネット社会についてふれます。

資料によれば、インターネット社会は、
「総透明社会」であるといいます。

インターネットの普及がこれからも進んで
総透明社会がもう後ろには戻らないものだとすれば、
わたしたちはこういう社会になってきたんだということを
敢然と受け入れるしかないんじゃないかと思いますよ


「総透明社会」とはなにか?

それは、自分やあらゆる他人の考え方、思想などが、
ネットを通してだだ漏れになってる社会です。

自分のいろんな情報をネットに提供してるんだから、
何かあったら過去のことが洗いざらいわかっちゃう。

かと言ってネットをやめて生きるわけにはいかない。


従来であれば、ネットなんかなくても、
地域や会社などのムラ社会(資料では「箱」とも記載)で、
生きていけましたが、

これからは、そうはいかない。

会社とか村みたいな『箱』はいま頼りにならなくなってきちゃってる。
黙々と仕事をしているだけだと、
誰にも認められないままリストラされちゃうかもしれないし、
会社が潰れちゃうかもしれない。


ちなみに、何かあったらネット上から、
自分の過去があらいざらいに。

だったら絶対にヘマを起こさないように生きて、
他人から詮索されないような人生を歩めばいい?

いやいや、そんな完璧な人生はいくらなんでも無理です。


総透明社会って、炎上におびえて暮らさないといけない、
単なるディストピアではないのか?
そうではないと、資料では記載します。

わたしはフェイスブックの本当の意味は、ふたつあると思っています。

第一は、人間関係を気軽に維持していくための道具
第二は、自分という人間の信頼を保証してくれる道具


フェイスブックを長く使えば使うほど、
毎日の日記やコメントや様々な写真、
友人関係がたくさんたまってくる。

そういう過去の蓄積が、
その人の本当の人間性を物語る
雄弁な証拠になってくれるってことなんですよ。


フェイスブックでなくても、
本名でブログやっていれば、そんなに変わらない。

要するに、肩書きじゃなくて、
中身そのもので勝負する時代になってきているんです。


従来の日本社会(現在でもそうですが)、
中身以上に、肩書きがセーフティネットですよね。

このことを示すのが、以下のダイヤモンドオンラインの記事。
http://diamond.jp/articles/-/59159?page=5

文化心理学と呼ばれる心理学の一分野の古典的な実験に、
「20ステートメントテスト」というものがある。

これは「私は」で始まる文章を
20個思いつくままに書いてもらうという、簡単なテストだ。

これを日本とアメリカの成人で行うと、
最初に書かれる典型的なものは、

アメリカ人ならたとえば
「私は社交的だ」「私は知的だ」といった
自己の資質なのに対し、

日本人なら、
「私は○○大学の学生だ」「私は部長だ」という、
自分の所属集団のものが多い。


これは、日本人が「自分が何者か」を考える際に、
内面や価値観ではなく、

現在の人間関係やその拠り所となる所属場所が
第一に来る傾向があることを示している。


ま、中身よりも、
肩書きが大事ってことですよ。

でも、総透明社会だと、
肩書きだけで中身がないと、信頼されない。

第一、肩書きの元になる「箱」が、
不安定になっているんだから。

フェイスブックなどを通して、
自分の中身をさらけ出して、
その結果、自分という人間の信頼を保証する。

それが、見知らぬ他人でも信頼できるための土台になり、
ひいては、多くの人との弱いつながりを持てるようになる。

次回は、弱いつながりについて、
みていくことにします。

最近は、この「弱いつながり」が、
何かと注目されている気がしますね。



※この記事は、P-SONICのHP記事より転載しております。
http://www.psonic.org
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2014年09月10日

「みんなが社会起業家」論・再考



前回から考察中のテーマ、「社会起業の担い手は誰なのか?」

社会起業の社会性のまとめにかえて、
考えてみたいと思います。

このテーマについて、
個人的には、以下の3つの切り口から、
考えてみたいと思います。

(1)現状、社会起業の担い手は3種類の人種しかいない
(2)「みんなが社会起業家」論・再考
(3)新たな社会起業の担い手について考える

今回は、「みんなが社会起業家」論を、
 考えてみることにします。


○志を持って働けばみんなが社会起業家?


「みんなが社会起業家」論ってのは、
2009年に社会起業家ブームなんてのがあって、
そのときに言われていたもの。

提唱者は、「社会起業家フォーラム」代表の、
田坂広志氏。

当時は、週刊ダイヤモンドといった経済紙でも、
社会起業家特集なんてありましたからねぇ。

その週刊ダイヤモンド・社会起業家特集でも、
「みんなが社会起業家」論は掲載されていました。
(2009年4/11号)

diamond

週刊ダイヤモンドでは、
以下のように掲載されていました。

すべての日本人が社会起業家となる時代がくる(P94)

キャッチーですね。

このキャッチーな面にとらわれてしまうと、
こんな反論になります。

「社会的弱者、社会課題の当事者が社会起業家になれるの?」

確かにねぇ。
ま、実際のところ、なってる人もいますけど。

で、キャッチーなセリフの後に、
以下の文章が続きます。

『社会起業家とは、
特殊な職業や特殊な働き方を意味しているわけではない。

営利企業で働いていても、
社会貢献の志を持ちながら仕事をする人は、
その人は立派な社会起業家だ』(P94)


と田坂氏は言っています。

それを受けて、ダイヤでは、

確かに、そもそも企業とは『社会のため』に存在するものである。
その構成員である会社員も、

『仕事を通じて社会の役に立ちたい』という思いを、
多かれ少なかれ持っているはずである


(先ほどの)田坂氏の言葉は、『働く』という行為について、
改めて考え直すきっかけになる(P94)


なんて記載しています。

さて、2014年現在、
これを読んで共感する人は、
あんまりいないんじゃなかろうか。

ブラック企業という言葉が話題になり、
どちらかといえばブラック企業といわれてる企業が、
上記のセリフに近いことを言っている。

また、「意識高い系」という言葉が話題になり、
そんなこといってないで普通に働け、となる。

この点では、2014年現在、
企業と従業員の意識は…

・そもそも企業とは「株主の利益最大化のため」に存在している

・企業と従業員とは家族でも何でもなく、契約関係

・従業員は、「仕事を通して社会の役に立つ」のではなく、
 「職務を最大化する」ことが企業にとっての目標
 そこに誇りとかを感じるかどうかは二の次

・従業員にとって企業は「カネを稼ぐところ」
 これ以上でも以下でもない

・上記を良しとしない企業は、たいてい、
 従業員を守るといいながら、
 長時間労働が常態化するブラック企業

…こんな感じではなかろうか?
今後、この傾向がさらに高まっていくと思われます。

ま、これって、欧米では普通だったりする。

現状は、田坂氏が述べたのとは全然違った意味で、

 「『働く』という行為について、改めて考え直す」
 ことが求められている。


○「働く」と「社会貢献」を分けて、二足以上のわらじをはこう


今や、「『働く』という行為について、改めて考え直す」ことは、

「みんなが社会起業家」という文脈ではなく、
日本の多くの社会課題を解決するという文脈で、
語られないといけない段階にあるといえます。

もう、「働くことを通して社会貢献」なんて、
それこそ「意識高い系」状態になっている。

じゃあ、「みんなが社会起業家」なんて、
全然意味がないのか?

個人的には、ここで、今一度、
「みんなが社会起業家」論を、再考してみたい。

それは、従業員(つまり大半の市民)レベルでいえば、

「本業(働く)と社会貢献を分離したうえで、
 そのうえで、みんな(厳密には一人でも多くの人)が、
 社会貢献、社会の課題解決に寄与する」

具体的には…

・本業と地域活動、NPO、趣味を通した社会貢献といった、
 2足以上のわらじをはく(2枚目の名刺を持つ)

・週末社会起業家をめざす

といったところかな?

ま、現実問題、本業が忙しい人がほとんどで、
「休日は病欠のみ」なんて人だっている中では、

こんなの絵空事に過ぎない、という人が大半であることも、
またわかっています。

しかし、だからこそ、
「『働く』という行為について、改めて考え直す」必要がある。

それは個人レベルではどうこうできることは、
現時点ではほとんどない。

できることといえば、そういう人をきちんと見極めて、
応援することくらいでしょうか。

そして、時間をなんとか作ろうとする意志のある人中心に、
改めて「みんなが社会起業家」に向けて、
草の根的でもいいので、活動していくことが大切なのでしょう。


○世界的な社会起業家は、
無数の草の根活動家から安定輩出されるのでは?



最後に、ダイヤモンドの田坂氏インタビューから引用。

日本でわれわれが目指すべきは、
米国や英国にいる"スーパー・アルピニスト"のような
社会起業家を育てることではなく、

無数の"グラスルーツ・バックパッカー"を
育てることであると思っている。

どんな偉大な登山家も、
最初は小高い山に登る草の根登山家だったはずだ。

エベレストには登れないが、
近くの小高い山に登ろうとする人が無数にいる−。

日本がそういう国になれば、それはすばらしいことだ


個人的には、登山よりもサッカーのほうが、
たとえとしてわかりやすいと思うのです。

世界レベルのサッカープレイヤーが1人、
突然変異ではなく定期的に輩出されるには、

草の根サッカープレーヤーが、
数十万人くらいはいないと無理でしょう。

ブラジルがサッカー大国なのは、
国民の多数がサッカー好きで、サッカーしてるから。

日本が野球が強いのも、
少年野球クラブ、草野球チームが無数にあるからでしょう。

正直、現在の日本のNPO関係者、社会起業家たちは、
突然変異で登場したようなものじゃないでしょうか。

そうした突然変異のなかには、
世界的に見ても、"スーパー・アルピニスト"クラスの人も、
個人的には少なくないと思うのです。

ただ、いつまでも突然変異をあてにしていていいのか。

無数の"グラスルーツ・バックパッカー"がいてこそ、
その土台の上に"スーパー・アルピニスト"が、
定期的に輩出されるのではないか。

お父さんお母さんが地域活動していたり、
週末社会起業家をやっている中で、
子どもたちも関心が出てきて、
そこから優秀な社会起業家が輩出されるのではないか。

親が寄付する姿を見せる中で、
子どもも寄付に関心をもつのではないか。

そんなことを考えます。


次回は、新たな社会起業の担い手について、
別の角度から考えてみたいと思います。




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2014年08月12日

現状では社会起業の担い手は「金持ち」「暇人」「意識高い系」




今回からは考えてみたいテーマは、

「社会起業の担い手は誰なのか?」

社会起業の社会性のまとめにかえて、
考えてみたいと思います。

そして、おそらくこのテーマは、
これから考えていく予定の、
社会起業の革新性とも関連していくであろうと思っています。
「社会起業の担い手は誰なのか?」

このテーマについて、
個人的には、以下の3つの切り口から、
考えてみたいと思います。

(1)現状、社会起業の担い手は3種類の人種しかいない
(2)「みんなが社会起業家」論・再考
(3)新たな社会起業の担い手について考える


○社会起業の担い手は、現状「金持ち」「暇人」「意識高い系」


今回は、

 「現状、社会起業の担い手は3種類の人種しかいない」

この点について、ふれてみたいと思います。
厳密に言えば、

社会起業とか、あるいはボランティアとかの、
「はじめの一歩」を踏み出すのは、
どんな人なのか、というお話です。

ま、小難しく考えれば、
いろんな観点が挙がりそうですが、

ぶっちゃけ論でいえば…

・金持ち
・暇人(時間がある、あるいは作る能力がある)
・意識高い系

この3パターンのどれか、
あるいは複合しているか、ではないですかね?

ちなみに、ここでの「意識高い系」ってのは、

「一般人の基準からして、
 自分のこと以外のことを意識して、行動してる人」

くらいの意味合いです。

もっとぶっちゃけていえば、
一般人の基準からいえば「ええかっこしぃ」な人

ちなみに、社会課題の当事者だから、
その改善のためにやってる、的な、
いわゆる「当事者性」も、

一般人からすれば、
はっきりいって、ええかっこしぃに近いので、
あえて、意識高い系カテゴリーに入れてます。


「コイツの言ってること、なんか腹立つわぁ」

な〜んて人も多いとは思いますが、
事実ではないでしょうかね?

ビルゲイツだって、金持ちになったから、
財団をつくったのであって、
その逆ではないですよね?

(こうした「社会投資資本家」という生き方も、
一種の意識高い系として鼻つまみされやすいですが、
個人的には、歓迎すべき生き方だと思います)

アメリカでプロボノが活性化したきっかけも、
リーマンショックで、
失業して時間に余裕ができたビジネスマンが増えたから。

戦後これまで、日本で地域活動を下支えしてこられたのは、
専業主婦の方々の活躍によるところが大きい。

(専業主婦が暇人だ、とは個人的には全く思いませんが、
地域に対して時間を割きやすい、また割かざるを得ない、
こうした点はあると思います)


○「同調圧力とお上による社会的包摂」が弱まるなかで…


ま、これまでのお話は、
現代人にとっての、ある種の「常識」を、
つらつらと書いてみただけ。

さて、この「常識」を前提にして、
いくつか考えてみたい。

(1)伝統的な日本社会での社会起業の担い手(?)
(2)この「常識」の前提となっているもの

まず、伝統的な日本社会では、
社会起業の担い手(というのは、相当変ですが)は、

金持ちでも暇人でも、ましては意識高い系でもない。
ま、金持ちや暇人は、それでも主体的な役割を担うのですが。

要は、地域集団の「同調圧力」
(同調圧力という言い方が嫌なら、「絆」でもいいです)

現在でも、この同調圧力が強い地域は確かにある。
こうした地域では…

・地域で金のある人、若い人が、
地域の貧しい人、高齢者に奉仕するのが当たり前

・定期的に地域のイベントに、
主体的に参加するのが当たり前

こうした「当たり前」という名の同調圧力(絆)で、
ある程度の社会的弱者をカバーする。
そこには、別に意識高い系はいらない。

そう考えると、東日本大震災後、
絆社会ということが言われ出した頃に、

「意識高い系」という言葉が急速に広がったことには、
なんらかの関連性があるのかもしれませんね。

絆社会には、基本、意識高い系なんていらないしね。


しかし、同調圧力に嫌気が差し、
かつ、そこから逃れる人が増えれば、

「同調圧力による社会的包摂」の効力は弱まる。

その結果、これまで鼻つまみ者だった「意識高い系」に、
社会課題解決の一翼を担ってもらわないといけない。

起業家だって、基本「意識高い系」だから、
産業の創出といったものも含めると、

現在の日本社会は、
鼻つまみ者によって支えられている側面が強い。
なんだか、複雑ですねぇ。
余談ですが、

同調圧力から「逃れられるようになった」という、
選択肢の広まりは、大きな意味を持ちます。

いわゆる「ブラック企業」ってのも、
従業員が「逃れられない」と思っているから、
従業員はそこに甘んじている。

でも、最近は、
景気の回復とかなんとかで、

「どうも、別にブラック企業で一所懸命しなくてもよさそう」

となれば、みんな出て行きますわな。

ブラック度が高いといわれる業界で人手不足になっていますが、
なんか、担い手不足で苦しむ地域と、
少し重なり合っているところもあるかな、と、
個人的には思ったりします。


で、同調圧力という常識が崩壊して、

金持ち、暇人、意識高い系が、
社会起業とかボランティアの担い手、というのが、
現時点での常識になっているわけですが、

この「常識」は、以下の点を前提にしています。

(A)ホントは、「お上」「同調圧力」が担い手になるべき
(B)普通の人は、仕事以外の時間なんてない


「ボランティアって、
金持ち、暇人、意識高い系がやるもんでしょ」

と、ある種侮蔑的に見ている人は、
世の多数派ではないかと思いますが、

この手の侮蔑の背景には、やっぱり、

「そういったのは、お上がするもんでしょ」とか
「地域の絆が失われたから、こんなことになった」とか、
「しょせん、コイツらは自己満でやってるだけ」とか、

そういった思いが見え隠れしている気がします。

私たちは、何かと、
お上に(具体的な対案も示さずに)不平不満を言ったりしますが、
そのくせ、お上の保護を求めている。

土居健郎氏的に言えば、
一種の「甘えの構造」があるのかもしれません。

ただ、私が指摘するまでもなく、
現在進行形で、お上による社会的包摂も、
同調圧力による社会的包摂も、
効果を失ってきている。

その現実は、直視しないといけませんね。


ま、

「ボランティアって、
金持ち、暇人、意識高い系がやるもんでしょ」

と侮蔑的に思うのは、

「自分にはそんな時間なんてないわ!」

という、ある種の怒りの方が、
はるかに大きいでしょうかね。

いわゆる「社畜」状態になると、
1日のほとんどの時間を会社に使っている自分が偉くて、

定時に帰って、土日は休みで、
空いた時間にボランティアとかしてる奴は、
一種の二等市民なんじゃないか、と思えてくる。

ただ、それも、
グローバルスタンダードとしてはちょっとおかしくて、
女性の社会進出とか、子育てと仕事の両立とかを阻害して、

しかも、それで生産性は先進国で最下位クラス。
な〜んて指摘は、複数の識者がしていること。

いくつかの職業を除いては、
現在の長時間労働の慢性化は、
常識ではなくなってくる。

その「常識ではなくなるまでの時間」を早めるために、
一部の社会起業家たちが頑張っていますが、
個人的には、政府が鎖国政策でもとらない限り、
時間の問題だろうとは思います。


○「金持ち」「暇人」「意識高い系」だけでは、
今後の社会的包摂は担えなくなるのでは?



まとめると、

現状では、確かに、
社会起業の担い手は、「金持ち」「暇人」「意識高い系」。

ま、金持ちは昔も今も変わりますまい。
個人的には、金持ちの中に、
社会投資資本家が増えることを願っていますが。

暇人に関して言えば、

今後の労働市場の流れは、
規制緩和とか、それに関連して、
残業の減少に進んでいくと思われます。
というか、そう思いたい。

そうなると、暇人は増えるのかな?
逆に、労働規制強化して、結果残業が一層増加すれば、
社会起業の担い手は、

「金持ち」で「意識高い系」(ほぼ高齢者)と、
「暇人」で「意識高い系」(ほぼ若者)との乖離が、
今よりも益々進みそうです。

もう、正社員はボランティアのボの時もいえなくなるほど、
残業三昧になる、ということになるので。
ただ、時間があればいい、というわけでも当然無い。
「無業社会」なんて言葉も言われていますが、

「働きたくても働けない」人は、
時間はあるかもしれませんが、

社会課題の当事者として苦しんでいるわけで、
そこから社会起業の担い手を願うのは、
かなり酷なお話ではあります。

そういうケースも、ちらほらとはありますが…
いずれにせよ、自治体の崩壊とかも、
今後は加速していくでしょうから、

同調圧力とお上による社会的包摂が、
今後は益々難しくなるのではないでしょうか。

そうなったときは、もはや、
 現状の「金持ち」「暇人」「意識高い系」だけでは、
 セーフティネットとか社会的包摂は、
 もう保てなくなるのではないか。

そんなことを、危惧しています。

…次回は、ひところ業界(?)で話題になった、
「みんなが社会起業家」論について、
再考してみたいと思います。




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