「ひろしま社会起業支援サミット2010」
を開催しました!

・日時:2010年6月27日(日)
・場所:広島経済大学 立町キャンパス
 (市電「立町」からすぐ)

・参加費:無料

 当日の様子等がわかる「事業報告書」はこちらから!
hiroshimasocialsummit2010_report.pdf

2014年11月19日

「CSVの事例研究」について考える上での3つの視点



今回の「社会起業とは」トピックは、

「CSVの事例研究」について。

先月になりますが、P-SONICあてに、

「CSVの中小企業での事例ってありますか?」

と質問があったので。

(著名メルマガとかであれば、FAQコーナーが、
一つのコーナーになるほど、
毎回質問がたくさんあるのでしょうが、

P-SONICの場合、別にそんなに質問もないので、
あったらその都度取り上げることにしています)

結論から言えば、
CSVの中小企業での事例については、
私は寡聞にして知りません。

CSVの企業での事例については、
やっぱり大手企業が注目されがちです。

質問者には既に回答していますが、
CSVの企業での事例については、
こちらのリンクが参考になるかと。

・ポーター賞
http://www.porterprize.org/index.html

・最新海外CSV事例〜sharedvalueleadershipsummit2014〜
http://blog.members.co.jp/article/14073

・CSV(Creating Shared Value)事例! 日本企業CSV活動事例5選
http://andomitsunobu.net/?p=6303

・水上武彦のCSV経営論
http://www.cre-en.jp/mizukami-blog/?cat=10

特に、水上武彦氏のブログなどは、
CSVについて、多角的に記載していますので、
CSVに強い関心のある方は、
ぜひ目を通してみることをオススメします。
さて、私は私なりに、

「CSVの事例研究」というテーマについて、
少々斜め上から考えていくことにします。

(1)CSVか否かを判別する視点
(2)「NPOの活動はCSV」という理解でOK?
(3)「CSVの事例研究」って意味あるの?

○とりあえず「地産地消=CSV」でオッケーじゃね?


まず、CSVか否かを判別する視点ですが、
これは、ある意味難しくない。
ポーター先生のCSVの定義に、
沿っているかどうか、ですからねぇ。

ポーターのCSVについては、
以下を参照。

名作選・CSV(共有価値の創造)
http://www.psonic.org/archive_whatcbsb/selection3/

ま、CSVの定義について、
ざっと箇条書きすると……

(1)製品と市場を見直す

(2)バリューチェーンの生産性を再定義する

・ロジスティックス
・資源の有効活用
・ロケーション
・流通
・従業員の生産性
・調達のあり方を変える

(3)企業が拠点を置く地域を支援する
産業クラスターをつくる


実は、上記の定義に従えば、

「ウチの会社はCSVを実践している!」

と大手を振って言える、
簡単な指針があります。

それは、「信念を持って地産地消してる」

これを実践していれば、
その会社はCSV実践企業といえるでしょう。
あと、バリューチェーンについて、
もう少し違った観点から。

・資源の有効活用

これまで「ゴミ」としてきたものを、
有効活用する取り組み

・調達のあり方を変える

LGSR(自治体の社会的責任)とからめて、
優秀な企業から調達する取り組み。

ここでの「優秀な企業」ってのは、
女性や障がい者の雇用が多いとか、
そういった観点。

(これも、注意しないと、
「名ばかり女性管理職」とかだけ増えてしまう、
そんな可能性もありますけどね)

ちなみに、「従業員の生産性」については、
個人的には、個々の企業任せですむ問題とは、
あまり思っていません。

その点、個別の成功事例が
いくつか出ているだけでは、

「○○はうまくいっているのだから、
みんな○○を見習えばいい。
法律を変える必要はない」

とか、そんな議論に持っていかれがちなので、
その点は微妙ですね。

「製品と市場を見直す」のは、
CSV事例として定義するのは、
なかなか難しそうです。

あと、産業クラスターについては、
一企業でどうこうという話ではないですね。
これは完全に余談ですが、

ポーターの産業クラスターの話では、
教育についても触れています。

公的教育の質が悪いと、
生産性や再教育に関わるコストが発生する。


(中略)教育、取引所、教育機関などの
欠陥や不備を明らかにする必要がある


教育と産業クラスターの関わりを考えるときに、
今現在ホットな話題になっているのが、
大学のありかたですね。

そう、「G型大学とL型大学」論です。
http://goo.gl/AIuHW4

上記資料に基づけば、
シリコンバレーなんかは、間違いなく、
Gの世界での産業クラスターでしょう。

ただ、シリコンバレーが、
地域にあまねく存在する必要性なんて、
さらさらないように、

Lの世界を強固にする産業クラスターも、
 これまた必要でしょう。
 というか、そっちが主流になるべきと思う。

現在は、新卒一括採用で、
企業側は「生産性や再教育に関わるコスト」を、
多大な額で負担しています。

そうなると、L型大学論は、
地域の大学における、
「教育機関などの欠陥や不備」に対応した論とも、
いえてしまうのかもしれません。

まぁ、「G型大学とL型大学」構想が、
現実的に進むとは、
個人的にはとても思えませんが、

万一進んだとして、
L型大学を含んだ、新しい産業クラスターの事例も、
今後ちらほらと出てくるのでしょうかね。


○CSVの理念とNPOとの親和性


続いて、
「NPOの活動はCSV」であるかどうか

ポーターにしてみれば、
NPOは「CSV企業のパートナー」という位置づけ。

ま、ポーターにしてみれば、
CSVは企業の新しい事業戦略であって、
NPOについては、そんなに念頭に置いてない。

ただ、そうした点を除けば、
「NPOの活動はCSV」だと言っても、
差し支えはないかと。

先ほどGの世界とLの世界の話をしましたが、
CSV論は、Lの世界にマッチしやすい。

というより、
Gの世界とLの世界の話で言えば、CSV論は、

「G型企業がLの世界でいかに利益を最大化するか」

そんな戦略論としてとらえたほうが、
適切ではないかと、個人的には思っています。

で、基本、NPOの人間は、
Lの世界(ローカル経済圏)が大好き。

いかにLの世界で共創、共生するかを、
組織ミッションとして活動するNPO。

そんなNPOの活動が、
Lの世界にマッチしやすいCSVと、
一致しないはずがない。

ま、「従業員の生産性」でいえば、

「世界の平和、家庭の不和」なんて言葉が、
NPO業界ではありがちだったりするので、
その点でCSVとはほど遠かったりするかな?


○CSVの事例研究の果てに共通項は見いだせるか?


最後に考えたいのは、そもそも、

「CSVの事例研究」って意味あるの?

一般的に、起業でいえば、
成功事例よりも失敗事例のほうが、
大きな意味がある。

成功事例ってのは、
わりと特殊な要因であることが多かったりするけど、

失敗事例の場合、

「気をつけないと、みんな陥りがち」な失敗が多いので、
事例研究で言えば、はるかに得るものが多い。

資金繰りのミスとか、ね。

ただ、CSVの場合、
成功事例はもちろん、
失敗事例も、地域特有の事情がありそう。

広島の中小企業の成功事例は、
東京では役立たない可能性も高い。

逆に、広島の中小企業の失敗事例も、
東京でやれば成功するかもしれない。
個人的には、震災復興に関わるあらゆる事業の、
成功事例、失敗事例は、

CSVの成功事例、失敗事例研究にとって、
大きな資料になると考えています。

もっともわかりやすい例は、

東京もんが「こうすれば地域で消費が進みますよ!」
なんていっても、地元の生産者には響かない、とか。

そもそも、東京もんの消費中心の価値観と、
東北などの地元の生産−消費者的な価値観とは、
相容れないのではないか。

まして、国を超えれば、
価値観の相違は決定的。

「国を超える場合、
なおさら事例研究が必要ではないか」

それは間違いないですが、
国も、地方によって価値観が全然違う。
日本だってそうですよね?

「CSVの事例研究」って意味あるの?
もちろん、意味はあるんでしょうが、

事例研究で、往々にして目的にしている、

「こうすれば成功する(失敗する)」的な、
共通項を見いだすことは、
どれほど可能なのか?

その点では、個人的には、
多少懐疑的ではあります。



※この記事は、P-SONICのHP記事より転載しております。
http://www.psonic.org
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2014年10月20日

ムラ社会から、見知らぬ他人を信頼する弱いつながりへ



佐々木俊尚氏の『自分でつくるセーフティネット』をベースに、
「みんなが社会起業家」を考え直すシリーズ。




今回は、「弱いつながり」「見知らぬ他人を信頼する」
そんなテーマで考えてみたいと思います。

このテーマは、以下の流れで考えていきます。

(1)強いつながり「きずな」批判
(2)「ウイーク・タイズ」理論
(3)インターネット総透明社会とムラ社会

まず、強いつながり「きずな」批判は、
さくっといきましょう。

個人的にも、「きずな」については、
これまで何度も何度も、形を変えて批判してきました。

佐々木俊尚氏がしている批判も、
私がしてきた批判と、ほぼ一緒です。

「きずな」って見方を変えれば、
実は「同調圧力」と同じこと。

明るい面を見るか、暗い面を見るか、
という違いでしかないんです。


これからのわたしたちは「きずな」にこだわらずに、
弱いつながりを大切にしていくほうが、
安全なセーフティネットの再生につながっていくんです。



○1970年代に日本化したアメリカ
日本は総透明社会でアメリカ化する?



では、「きずな」に代わる弱いつながりとはなにか?

それを考える上で役に立つのが、
マーク・グラノベッター氏の「ウイーク・タイズ」理論

「ウイーク・タイズ」理論について、
佐々木氏は以下のように紹介しています。

新しい仕事についての情報は、
弱いつながりを伝って流れてくるほうが多い。
強いつながりからは、あまりそういう情報は流れてこない


これは、異業種交流をイメージするとわかりやすい。

だって弱いつながりってことは、
相手と自分の共通点が少ないってことだから、
自分の知らない情報を相手が持ってる可能性はとても大きい


…いかがでしょうか。

ただ、「異業種交流で人脈つくってうんぬん」自慢してる人が、
典型的な意識高い系として批判されるように、

現状、そうした「弱いつながり」は、
「だからどうしたの?」になりやすい。

その「だからどうしたの?」には、
歴史的な重みがある。

その重みとは、農村社会、ムラ社会という、
日本社会の基盤となっている重み。

この農村の特徴って何だったのかというと、
それこそが「人を見たら泥棒と思え」ということだったんですよ。

村の中の人とは信頼しあって、
強いきずなで団結して生きていくけれども、
外の人は基本的に信用しない。


で、日本文化論になってしまうのですが、
佐々木氏も紹介しているのが、

山岸俊男氏の『信頼の構造』




(山岸俊男氏は)ムラ社会は安心だけど、信頼がないのだって
ばしっと断言されてるんですよ。

日本人が和を重んじているように見えるのは、
決してきずなが強くてたがいを信頼しているからではなくて、
相互監視の仕組みがあるからだ


相互監視で、信頼はないけど、
ある種の安心はある。

その安心をベースにセーフティネットをつくる。
それは「外の人は基本的に信用しない」と表裏一体。
で、この手の日本文化論で対極になるのが、
アメリカですよね。

いろんな人種や民族の人たちが集まってきてつくった
アメリカという国は、

見知らぬ他人でも「まず信じる」というところから
スタートする社会でした。


ただ、そんなアメリカでも、
日本的な「人を見たら泥棒と思え」が、
定着した時期があるのだそう。
それは、1970年代から、連続殺人鬼がニュースになったから。

「人を見たら殺人鬼と思え」といったところでしょうか。

ただ、そんな日本化したアメリカも、
2000年頃から、再び「まず信じる」ことが、
できるようになったとのこと。

そのきっかけとなったのが、
インターネット総透明社会。

総透明社会が到来して、
人々の日常がみんなに丸見えになってきたことで、
それで人と人との信頼が回復するってことが、
アメリカでは2000年代くらいから
だんだんと起きてきているという話なんですね


逆に言えば、インターネット総透明社会で、
日本もアメリカ化する可能性だってある。

インターネットの総透明社会では、
自分の日常や友人関係をさらけ出してることが、
他人に信じてもらうための
保証の役割を果たしてるんです。

つまりわたしたちは、
見知らぬ他人でも信頼できるように
なってきたということなんです。

そうして見知らぬ人と信頼しあって、
将来に役立つ弱いつながりを
つくっていくことが大切なんです。


ここで、「弱いつながり」「見知らぬ他人を信頼する」が、
つながっていきます。


○「情けは人のためならず」をベースに、皆が社会起業の担い手に


見知らぬ人と信頼しあって、
将来に役立つ弱いつながりを
つくっていくと、何が起こるのか?

それは、本当の意味での、
「情けは人のためならず」である。

昔から「情けは人のためならず」って
ことばがありますよね。

あれを

「人に情をかけるのはその人のためにならないから、
冷たくせよ」

って間違えて覚えてる人は案外多いんじゃないか
なんていう話もありますが、

本当の意味は

「人に情けをかけるのは、他人のためだけじゃなくて、
まわりまわって自分に戻ってくる」ってことです。

この「情けは人のためならず」は、
まさに今のインターネット時代だからこそ言えること。

いろんなつながりを持っていて、
他人に情報を与えてあげるってことが、
まわりまわって自分のためにもなる。

そういう時代になってるんです。


弱いつながりからもたらされる情報に加え、
自分がもっている情報とか、スキルとかを、
できる範囲で惜しみなく与えていく。

そうすると、社会全体にとって、
プラスとなると同時に、
自分にもいいことが返ってくる。

もちろん、それで、
自分の生存権が確保される、
最低限の生活が保障されるかと言えば、

それはいくらなんでも難しい。
そのレベルでのセーフティネットたりえない。

今後は、そのレベルでのセーフティネットとしては、
国と私との、直接的なセーフティネット、
ムラや会社といった中間団体なきセーフティネットが、
その代わりとなっていくのだと思います。

では、「弱いつながり」「見知らぬ他人を信頼する」
このセーフティネットは、何を保障してくれるのか?

それは、従来の強いつながりでも、
さまざまなしがらみとひきかえに提供されていた、
心と心通い合う情の世界。

ただ、その情の世界が、
これまでとは異なる。

会社のような「箱」の中におさめられている「情の世界」じゃなくて、
社会のすみずみに裏側で網の目のようにつながっている
あらたなかたちの「情の世界」

そういう「情の世界」があることによって、

「私はいま苦しいけれども、みんながそこにいることで安心できる」
「みんなとつながっていて、
みんなから慰めのことばをかけてもらうことで安心できる」

という、安心感につながるのだと思うのです。

○まとめ
従来の社会起業(?)の担い手は、
地域ムラ社会であったことは、
以前書きました。

それが、180度異なる、
「弱いつながり」「見知らぬ他人を信頼する」をベースに、

みんなが自分のもっている弱いつながりや、
そこから来る情報、
あるいは、自分が持っている情報やスキルをつなげて、
みんなが、新しい社会起業の担い手となりうるのではないか。

佐々木氏の主張から、私が感じたことです。
次回は、もうすこし日本文化論についてつっこんで、
日本ムラ社会が、いかに、

「弱いつながり」「見知らぬ他人を信頼する」から、
180度真逆の社会であるかを、再確認したいと思います。

とはいえ、この手の日本文化論は、
深入りしすぎると、きりがないので、
ちょっと流す程度にしたい。



※この記事は、P-SONICのHP記事より転載しております。
http://www.psonic.org
posted by ccc_summit_hiroshima at 20:59| Comment(0) | 社会起業トピック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月24日

個々人の新しい生存戦略としての「みんなが社会起業家」論




「社会起業の担い手は誰なのか?」

社会起業の社会性のまとめにかえて、
考えてみたいと思います。

このテーマについて、
個人的には、以下の3つの切り口から、
考えてみたいと思います。

(1)現状、社会起業の担い手は3種類の人種しかいない
(2)「みんなが社会起業家」論・再考
(3)新たな社会起業の担い手について考える

今回からは、新たな社会起業の担い手について、
考えていくことにします。

とはいえ、「誰が」担い手になるべきかといえば、
「みんなが」なるべきだ、と考えます。

その点では、前回触れた、
「みんなが社会起業家」論とそう変わりはない。

今や、「お上が」「行政が」といった、
「そんなの、自分以外の誰かがやってくれ」
というのは、これからは難しいのではないか。

また、金持ち、暇人、意識高い系から、
1000万人に1人の「スーパー・アルピニスト」レベルの、
社会起業家が出てくるまで待つのか。

そして、「スーパー・アルピニスト」っていうか、
水戸黄門に基本丸投げ。

そして気にくわなかったら、叩き殺して、
次の水戸黄門が現れるのを待つ。

今後、それが本当に可能なのか?

実際のところ、これからも、
社会起業家っていうか、民間レベルの社会変革の中心にいるのは、
金持ち、暇人、意識高い系から生み出された成功者でしょう。
それは間違いない。

ただ、個々人レベルでも、
「みんなが社会起業家」とまでいかなくても、
社会に何かよいことをすることはできるはず。

で、これから考えていきたいのは、
「なぜ」、みんなが社会起業の担い手になるべきか
そういったテーマ。

「なぜみんなが社会起業の担い手になるべきかって?
そりゃ、市民の義務だからさ」

な〜んて、「道徳的なお題目」を唱えるつもりはありません。

そうではなく、それは、
今後の社会を生きていくための「生存戦略」になるのではないか。
そういったお話です。

カンのいい人はここで気づいたと思いますが、
以降のお話に使用するテキストは、

佐々木俊尚氏の『自分でつくるセーフティネット』です。





○従来とは真逆の生存戦略



この『自分でつくるセーフティネット』(以下、資料と記載)の結論は、
以下の4つです。

生存戦略として、見知らぬ他人を信頼すること。
生存戦略としての、多くの人との弱いつながり。
生存戦略としての、善い人。
生存戦略としての、自分の中途半端な立ち位置を知るということ。

これが、本書のシンプルな結論です。


と、資料に書かれている。

ここに書かれている「生存戦略」ってのは、
これからの社会における生存戦略。

これは、従来の日本社会での生存戦略とは、
180度真逆の生存戦略です。

だってそうでしょ?

従来の日本的生存戦略(?)では、

「人を見たら泥棒と思え」で、
家族や地域、会社の人との強いつながりをいかに維持するか。

そうではなかったでしょうか?

「善い人」「自分の中途半端な立ち位置」については、
ぱっと見分からないと思うので、以降解説します。

ちなみに、佐々木氏の提唱する4つの生存戦略は、
NPOやソーシャルビジネスの生存戦略として、
置き換えて考えることも、非常に有益です。

従来型のムラ型セーフティネットが崩壊中だから、
NPOやソーシャルビジネスという、
新たなセーフティネットをつくる必要があるわけで。



○インターネット「総透明社会」を土台にした生存戦略



今回は、佐々木氏の生存戦略について、
その土台となるインターネット社会についてふれます。

資料によれば、インターネット社会は、
「総透明社会」であるといいます。

インターネットの普及がこれからも進んで
総透明社会がもう後ろには戻らないものだとすれば、
わたしたちはこういう社会になってきたんだということを
敢然と受け入れるしかないんじゃないかと思いますよ


「総透明社会」とはなにか?

それは、自分やあらゆる他人の考え方、思想などが、
ネットを通してだだ漏れになってる社会です。

自分のいろんな情報をネットに提供してるんだから、
何かあったら過去のことが洗いざらいわかっちゃう。

かと言ってネットをやめて生きるわけにはいかない。


従来であれば、ネットなんかなくても、
地域や会社などのムラ社会(資料では「箱」とも記載)で、
生きていけましたが、

これからは、そうはいかない。

会社とか村みたいな『箱』はいま頼りにならなくなってきちゃってる。
黙々と仕事をしているだけだと、
誰にも認められないままリストラされちゃうかもしれないし、
会社が潰れちゃうかもしれない。


ちなみに、何かあったらネット上から、
自分の過去があらいざらいに。

だったら絶対にヘマを起こさないように生きて、
他人から詮索されないような人生を歩めばいい?

いやいや、そんな完璧な人生はいくらなんでも無理です。


総透明社会って、炎上におびえて暮らさないといけない、
単なるディストピアではないのか?
そうではないと、資料では記載します。

わたしはフェイスブックの本当の意味は、ふたつあると思っています。

第一は、人間関係を気軽に維持していくための道具
第二は、自分という人間の信頼を保証してくれる道具


フェイスブックを長く使えば使うほど、
毎日の日記やコメントや様々な写真、
友人関係がたくさんたまってくる。

そういう過去の蓄積が、
その人の本当の人間性を物語る
雄弁な証拠になってくれるってことなんですよ。


フェイスブックでなくても、
本名でブログやっていれば、そんなに変わらない。

要するに、肩書きじゃなくて、
中身そのもので勝負する時代になってきているんです。


従来の日本社会(現在でもそうですが)、
中身以上に、肩書きがセーフティネットですよね。

このことを示すのが、以下のダイヤモンドオンラインの記事。
http://diamond.jp/articles/-/59159?page=5

文化心理学と呼ばれる心理学の一分野の古典的な実験に、
「20ステートメントテスト」というものがある。

これは「私は」で始まる文章を
20個思いつくままに書いてもらうという、簡単なテストだ。

これを日本とアメリカの成人で行うと、
最初に書かれる典型的なものは、

アメリカ人ならたとえば
「私は社交的だ」「私は知的だ」といった
自己の資質なのに対し、

日本人なら、
「私は○○大学の学生だ」「私は部長だ」という、
自分の所属集団のものが多い。


これは、日本人が「自分が何者か」を考える際に、
内面や価値観ではなく、

現在の人間関係やその拠り所となる所属場所が
第一に来る傾向があることを示している。


ま、中身よりも、
肩書きが大事ってことですよ。

でも、総透明社会だと、
肩書きだけで中身がないと、信頼されない。

第一、肩書きの元になる「箱」が、
不安定になっているんだから。

フェイスブックなどを通して、
自分の中身をさらけ出して、
その結果、自分という人間の信頼を保証する。

それが、見知らぬ他人でも信頼できるための土台になり、
ひいては、多くの人との弱いつながりを持てるようになる。

次回は、弱いつながりについて、
みていくことにします。

最近は、この「弱いつながり」が、
何かと注目されている気がしますね。



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