「ひろしま社会起業支援サミット2010」
を開催しました!

・日時:2010年6月27日(日)
・場所:広島経済大学 立町キャンパス
 (市電「立町」からすぐ)

・参加費:無料

 当日の様子等がわかる「事業報告書」はこちらから!
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2015年01月06日

他者への「寛容さ」を持つ難しさ



佐々木俊尚氏の『自分でつくるセーフティネット』をベースに、
「みんなが社会起業家」を考え直すシリーズ。



今回は前回に引き続き「善い人」という点から、
考えてみたいと思います。


○「箱」の役割を果たせない企業がブラック企業なら、
日本のほとんどの企業がブラック企業



現在は、「強いつながり」から「弱いつながり」への、
移行の過渡期だと、佐々木氏は指摘します。

ところが、強いつながり社会から弱いつながり社会に
日本が移っていく中で、
移行期に特有の現象も起きちゃってる。


個人的には、移行期というよりは、
強いつながり社会が脆弱になっている、
というとらえ方が自然だとは思います。

ただ、そうしたなかで、
様々な現象が起こっているのは、
間違いありません。

佐々木が例として指摘するのは、
次の2点。

(1)ブラック企業
(2)「箱」の外を過剰に排除する


個人的には、
実はあまり「ブラック企業」という言葉は、
好きではありません。

あまりにも、定義があいまいだから。
どうも、ブラック企業というのは、

・社員を不当にこき使う上に、
・「箱」として社員を守ってくれない

そんな企業のこと、という認識なのかな、
そんなことを思います。

その認識でいけば、
ほとんどの企業がブラック企業ですね。

必死に働いても、
ブラック企業は「箱」じゃありませんから、
社員を守ってくれるわけじゃありません。
生存戦略にならない。


余談ですが、個人的には、
たぶん多くの人の認識がばらばらな、
そんなブラック企業について、
各人がどう捉えているかを明確にするには、

 「あなたにとってホワイト企業って何ですか?」

を確認するのがよいのかな、と思っています。
それも、浮ついた言葉を使わずに、
なるべく具体的に。

「社員を大切にするのがホワイト企業です」
「ワークライフバランスを
大切にするのがホワイト企業です」

なんて回答では、
何も語ってないに等しいので。

まぁ、個人的には、
ブラック企業が減少し、
ホワイト企業が増えるためには、

企業が、極力「箱」として機能しなくてもすむ、
そんな社会システムを作ることが、
大切なことの一つなのではないかと思うのです(※)

ただ、その過渡期においては、
行き過ぎた個別のブラック企業を訴える、

「ならず者を訴える」作業は、
必要なのでしょうがね。

※あと、「人は余っているけど資源は有限」
「だからこそ、人が長労働時間する必要がある」

という、労働時間至上主義からの脱却が、
かなり大事だと思っています。

現在、人手不足が話題になっていますが、
こうした現象が、従来の労働意識の改革を促す、
パラダイムシフトのきっかけになるのかな、
そんなことを考えたりします。


○人間は「箱」の外側には苛烈で残酷
そこを認めた上で、寛容になる



ブラック企業問題にしろ、
「箱」のあり方を変えないと、
本当はいけないのでしょうが、

「箱」が不安定になっているときに起こりがちなのが、
「箱」の外を過剰に排除する動き。

やさしい顔を見せるのは「箱」の内側に対してだけで、
外側に対しては厳しい顔。


結局のところ、わたしら日本人は見知らぬ他人に対しては
とても残酷だってことなんですよ。

わたしたち日本人は、実はけっこう苛烈で残酷である。
それをまず認めようじゃないですか。

それを知るところに、
スタート地点はあるんじゃないでしょうか。


佐々木氏は「日本人は」と言っていますが、
個人的には、「人間は」と言ってもいいと思っています。

「箱」のとらえ方が、
人種、民族、宗教等で違うだけ。

ま、隣国に対しては、
苛烈で残酷になりやすいのは、
どこの国でもわりと共通ですね。

ネトウヨなんて、どこの国にも一定数で存在してるし、
世界はヘイトスピーチであふれてる。

グローバリズムが「箱」をゆさぶっているのは、
日本だけの話でもないですしね。

鎖国して、「箱」を守ることが、
平和につながる、ということ。

それは、日本が江戸300年間を通して示してきた、
一つのあり方なのだろうとは思います。

ただ、何度も繰り返しますが、
もう、それで「箱」を守ることは、
非常に難しい。

個人的には、そのやり方で「箱」を守り、
平和を作る方法は、
日本人全体が相当貧しくなる覚悟の上に、
安全保障とかでいろいろな奇跡が起きる、
そんな必要があると思います。

そんな覚悟も、
その手の奇跡を信じる心もない私は、
「箱」のあり方を変えるしかないと、
思っています。

佐々木氏は、その変え方として、

「寛容になること」を説きます。

生存戦略として正しいのは、
見知らぬ他人に対しても寛容になること。
もっと広く言えば「善い人」になることです。


ま、突き詰めれば、
寛容にならない限りは、
 血で血を洗う戦いになるしかない。

それは、いいかげん、
やめたいところですね。


○「消極的な善い人」と「積極的な善い人」の
バランスをどうとるのか?



で、佐々木氏のいう「善い人」って、
結局、どんな人なのか?

佐々木氏は、「善い人」には、
2種類のタイプがあると指摘します。

善い人にもわたしは
「消極的な善い人」と「積極的な善い人」の
両面があるんじゃないかと思っています。


「消極的な善い人」ってのは、
一言で言えば、寛容な人です。

消極的な善い人というのは、
他人のやることを認めてあげる人。

他人の世界観や考えていること、やっていることが
自分と違っているからといって攻撃しない人。

他人の失敗や失言を認め、
他人を責めない人。

上から目線で、見下ろさない人。


で、「積極的な善い人」ってのは、
一言で言えば、与える人です。

自分の能力を、
人のためにも使う人ですね。

ボランティアとか、NPOとか、
社会起業家なども、その手に部類に入るでしょう。
ただ、個人的には、

「消極的な善い人」と「積極的な善い人」って、
 両立がかなり難しいのではないかと思っています。

「消極的な善い人」になる、一番手っ取り早い方法は、
 他人に無関心になること。

他人が何を言ってても、別にどうでもいい。
人は人、自分は自分。

ただ、「積極的な善い人」にとって、
 自分の善事を根本的に否定する他人を、
 容認することはできない。

その手の積極的な善い人が、
基本的にヘイトスピーチしてる人を、
認めることはできない。

「積極的な善い人」の与える気持ちが強ければ強いほど、
それに害をなす人に寛容にはなれない。

それでも寛容になろうとすれば、
ある種の「赦し」の世界になりますねぇ。

ヘイトスピーチのごとく、
ある程度明確な他者危害則侵犯があれば、
それに寛容になる必要もないのかもしれません。

ただ、じゃあ、レイシストしばき隊なる、
反ヘイトスピーチ集団が「積極的な善い人」かといえば、
それはそれで難しい。


ま、その点を突き詰めすぎると、
逆に価値相対主義のワナに陥って、
何もできなくなるので、

そのへんは、バランス感覚ですね。
難しいところですが。

次回は、バランス感覚を考える上でも大切な、
「自分の中途半端な立ち位置を知る」
という観点をみていきます。



※この記事は、P-SONICのHP記事より転載しております。
http://www.psonic.org
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