「ひろしま社会起業支援サミット2010」
を開催しました!

・日時:2010年6月27日(日)
・場所:広島経済大学 立町キャンパス
 (市電「立町」からすぐ)

・参加費:無料

 当日の様子等がわかる「事業報告書」はこちらから!
hiroshimasocialsummit2010_report.pdf

2015年01月21日

ありのままの自分を赦すことをめざして



佐々木俊尚氏の『自分でつくるセーフティネット(以下、資料)』をベースに、
「みんなが社会起業家」を考え直すシリーズ。



今回は「自分の中途半端な立ち位置を知る」について、
考えてみたいと思います。


○自分がピュアであることを主張するのは、
最強の立場だけど、自己満以外に何の意味もない



まず、資料の以下の文をお読み下さい。

自分がピュアであることを主張し、
どこかにいる強い悪を非難していれば、
誰かから非難され返すことは
絶対にありませんよ、そりゃ。

最強の立場です。
でも同時に、それはとてもずるいんじゃないかと
思うんですよね。


以前佐々木氏が批判していた「マイノリティ憑依」は、

「自分はマイノリティを代弁してるんだ」という立場から、
「自分がピュアであることを主張」してるわけです。

確かに、それは最強の立場ですね。

厳密にいえば、非難され返すことはあるんですが、
それに反論するのではなく、
ただただ、自分がピュアであることを
主張してるだけなので、
ある種、道徳的には最強の立場に立てる。

そして、それはとてもずるいというという、
佐々木の主張に同意します。

個人的に、それに補足するならば、
それは「自己満以外には何の意味のない」

まぁ、「自己満で何が悪い」というのは、
他者危害則にのっとっている限りは、
そうかもしれません。
(たいてい、他者危害則にすらのっとってないですが)

ただ、NPOとかがこの立場に立ってしまうのは、
 許されないのではないかと思うのです。

「ならず者を訴える」のが
NPOの華になりがちなので、
マイノリティ憑依になりやすいのですが。


○NPOレベルの「自分が中途半端な立ち位置」とは
ニーズから逃げずに活動する姿勢



じゃあ、どうしたらいいのか?

ピュアな立ち位置を捨てて
現世に舞い戻って、
自分の本来の居場所を
取り戻していく必要があると思うんです。

そこで、汚れも何もかも、
そういう現実を引き受けていく
覚悟みたいなものが
必要だと思うんですよね。


いまの時代、
自分が中途半端な立ち位置であることを自覚し、
善人にもなれないし偽悪者でもないと自覚し、
善い人を目指して生きていくという立ち位置は、

死後の世界の往生でもなく、
倫理や道徳でもなく、
まさに必要な生存戦略だと思うんですよね。


なんか、これだと、
かなり抽象的というか、
ふわふわしているので、ピンとこない人も、
多いのではないでしょうか?

NPOレベルの生存戦略として、
個人的に解釈すると、

 「ニーズから逃げない」

ということになるのではないか。

自分が、ピュアな立ち位置に立つことが目的ではなく、
 あくまで、現場の社会課題の解決という、
 社会的弱者のニーズから逃げない。

そのためには、汚れごとであっても、
積極的に引き受けなくてはならないこともある。
ある種の妥協も、必要になるかもしれない。

そのうえで、はじめて、
本当の意味での「自分の居場所」が、
見いだせるのではないか。

とはいえ、自分たちだけで、
 ニーズを引き受けることなんて、できやしない。

自分たちの活動で、
社会課題の解決に近づくこともあれば、
逆に、実は社会課題の解決を
遠ざけてしまっているかもしれない。

自分たちのやっていることは、
非常に中途半端。

自分たちのやっていることは、
時には善事かもしれないし、
時には悪事かもしれない。

それを受け入れた上で、
より善い活動を目指して、
時には他の団体、行政、企業等と協働し、
中途半端さを、少しでもよい方向に持っていく。


○「ありのままの自分」を受け入れ、赦す


「自分が中途半端な立ち位置であることを自覚」

これを、NPOレベルの生存戦略ではなく、
個人レベルの生存戦略とした場合、

(1)「ありのままの自分」を受け入れ、赦す
(2)その土台の上で「見知らぬ他人を信頼する」
   「弱いつながり」「善い人」を目指す

ということではないかと思うのです。
これも、まだふわふわした文章ですね。

「ありのままの姿見せるのよ〜」とか、
どっかで聞いた歌が流れてきそうですね。

(この程度の引用であれば、
JASRACとかに指摘されたりしないですよね?)

ただ、「ありのままの自分」を受け入れ、赦す。
これは、ホントに難しい!

ちょっと話は脱線しますが、
2015年の中国新聞年頭社説では、
実はメインテーマは「他者の傷み分かち合う」

http://www.psonic.org/wordpress/wp-content/uploads/Chugoku2015.pdf

「他者の痛みに鈍感になっていないか」と、
問題提起をしています。

よくありがちな問題提起ですが、
私は、もう少し別の観点で、
同様の問題提起をしたいと思います。

それは、

「自分の痛みに敏感になりすぎていないか」

この問題提起の背景にあるのは…

(1)そもそも、自分の痛みはほぼ「他者」がもたらす
(2)自分の痛みに鈍感になる(自分を赦す)
ことができないと、
   他者を受け入れられない

この手の「心の痛み」の場合、
原因は、ほぼ他者というか、
人間関係に起因することが多い。

アドラーなんかは、

「すべての悩みは対人関係の悩みである」

なんて言い切っちゃってますしね。

別に、目の前に実際の他者がいなくても、
ネットを見てても、そこに他者を投影して、
共感したり、癒されたり、
そして、痛みを感じたりする。

中国新聞では、ヘイトスピーチを、

他者を否定することで、
うさを晴らすという狭苦しい了見


と指摘していますが、
個人的には、
そんなレベルではないと思う。

ヘイトスピーチする人は、
 そうでもしないと、
 自分の痛みに耐えられない。

○○がこの世からいなくなれば、
この激痛から解放されるというのであれば、
そりゃ、ヘイトスピーチに走るでしょう。

その痛みとは、具体的には、
その人にとっての正義感に起因したり、
自己肯定感に起因したり、
そういった要素があるのでしょう。

自分の痛みは、他者がもたらす以上、
他者を否定するのではなく、
(人間関係の拒絶やヘイトスピーチ)

他者と関わって生きるためには、
 どこかで、自分の痛みに
 鈍感にならないといけない。

そのためには、どこかで、
自分を赦さないといけない。
やっぱり、これが、非常に難しい。

ま、だからこそ、
今アドラー心理学が、
ウケてるんでしょうかねぇ?


……脱線終了。

ま、自分の痛みは
ほぼ「他者」がもたらす以上、

自分の痛みに鈍感にならないと、
その激痛から解放されようとして、
ひたすら他者を攻撃する。

この土台で、資料の以下の文章を見ると、
ピンときやすくなるのでは?

その覚悟によって、
人々のさまざまな生き方も
許容できるようになって、
見知らぬ他人でも「まず信頼からはじめよう」と
思えるようになって、

そして成熟して
大人になっていくことが
できるんじゃないかと思いますよ。



○具体的に自分を赦せなくても、
痛みを引き受ける覚悟を



「じゃあ、具体的に、
ありのままの自分を赦すには、
どうしたらいいんですか?」

わかりません。

資料にも、そんなことは書いてません。
佐々木氏だって、わからないと思います。

「ありのままの自分を赦す」とは、
どういうことなのかについては、
宗教とかに触れると、わかるのかもしれませんが、

最終的に、「じゃあ赦せるか否か」は、
自分次第なので。

Aさんがありのままの
自分を赦せるようになったとして、

Aさんがそこに至るプロセスは、
たぶん、アナタには、ほとんど参考にならない。

何より、私自身、
ありのままの自分を赦せているかといえば、
全然そんなことはない。

ただ、資料にも書かれていることですが、
そのヒントは、「年齢」に
あるのではないでしょうか。

年をくって、いろんな経験をすれば、
自分や他者のいろんなものが見えてくる。

ま、赦せなくても、
「そんなもんかな」「どうでもいいかな」くらいには、
思えるようになるでしょう。


…う〜ん。この流れでいくと、

年をとらないと、
自分でつくるセーフティネットとか、
みんなが社会起業家とか、
そうしたことができにくい、という結論になっちゃうなぁ。

理想的には、ありのままの自分を赦して、
その土台の上で、

ありのままの自分ができることで、
 「善い人」として、
 見知らぬ他人との弱いつながりを築ければベスト。

ま、たとえ自分を赦せなくても、
自分のスキルとかが明確になっていれば、
それを土台にして、
見知らぬ他人との弱いつながりを築くことも、
できなくはないでしょう。

ただ、それはやっぱり、

他人からもたらされる「痛み」に、
耐える覚悟がいるのでしょうね。




※この記事は、P-SONICのHP記事より転載しております。
http://www.psonic.org
posted by ccc_summit_hiroshima at 19:46| Comment(0) | 社会起業トピック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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