「ひろしま社会起業支援サミット2010」
を開催しました!

・日時:2010年6月27日(日)
・場所:広島経済大学 立町キャンパス
 (市電「立町」からすぐ)

・参加費:無料

 当日の様子等がわかる「事業報告書」はこちらから!
hiroshimasocialsummit2010_report.pdf

2014年09月10日

「みんなが社会起業家」論・再考



前回から考察中のテーマ、「社会起業の担い手は誰なのか?」

社会起業の社会性のまとめにかえて、
考えてみたいと思います。

このテーマについて、
個人的には、以下の3つの切り口から、
考えてみたいと思います。

(1)現状、社会起業の担い手は3種類の人種しかいない
(2)「みんなが社会起業家」論・再考
(3)新たな社会起業の担い手について考える

今回は、「みんなが社会起業家」論を、
 考えてみることにします。


○志を持って働けばみんなが社会起業家?


「みんなが社会起業家」論ってのは、
2009年に社会起業家ブームなんてのがあって、
そのときに言われていたもの。

提唱者は、「社会起業家フォーラム」代表の、
田坂広志氏。

当時は、週刊ダイヤモンドといった経済紙でも、
社会起業家特集なんてありましたからねぇ。

その週刊ダイヤモンド・社会起業家特集でも、
「みんなが社会起業家」論は掲載されていました。
(2009年4/11号)

diamond

週刊ダイヤモンドでは、
以下のように掲載されていました。

すべての日本人が社会起業家となる時代がくる(P94)

キャッチーですね。

このキャッチーな面にとらわれてしまうと、
こんな反論になります。

「社会的弱者、社会課題の当事者が社会起業家になれるの?」

確かにねぇ。
ま、実際のところ、なってる人もいますけど。

で、キャッチーなセリフの後に、
以下の文章が続きます。

『社会起業家とは、
特殊な職業や特殊な働き方を意味しているわけではない。

営利企業で働いていても、
社会貢献の志を持ちながら仕事をする人は、
その人は立派な社会起業家だ』(P94)


と田坂氏は言っています。

それを受けて、ダイヤでは、

確かに、そもそも企業とは『社会のため』に存在するものである。
その構成員である会社員も、

『仕事を通じて社会の役に立ちたい』という思いを、
多かれ少なかれ持っているはずである


(先ほどの)田坂氏の言葉は、『働く』という行為について、
改めて考え直すきっかけになる(P94)


なんて記載しています。

さて、2014年現在、
これを読んで共感する人は、
あんまりいないんじゃなかろうか。

ブラック企業という言葉が話題になり、
どちらかといえばブラック企業といわれてる企業が、
上記のセリフに近いことを言っている。

また、「意識高い系」という言葉が話題になり、
そんなこといってないで普通に働け、となる。

この点では、2014年現在、
企業と従業員の意識は…

・そもそも企業とは「株主の利益最大化のため」に存在している

・企業と従業員とは家族でも何でもなく、契約関係

・従業員は、「仕事を通して社会の役に立つ」のではなく、
 「職務を最大化する」ことが企業にとっての目標
 そこに誇りとかを感じるかどうかは二の次

・従業員にとって企業は「カネを稼ぐところ」
 これ以上でも以下でもない

・上記を良しとしない企業は、たいてい、
 従業員を守るといいながら、
 長時間労働が常態化するブラック企業

…こんな感じではなかろうか?
今後、この傾向がさらに高まっていくと思われます。

ま、これって、欧米では普通だったりする。

現状は、田坂氏が述べたのとは全然違った意味で、

 「『働く』という行為について、改めて考え直す」
 ことが求められている。


○「働く」と「社会貢献」を分けて、二足以上のわらじをはこう


今や、「『働く』という行為について、改めて考え直す」ことは、

「みんなが社会起業家」という文脈ではなく、
日本の多くの社会課題を解決するという文脈で、
語られないといけない段階にあるといえます。

もう、「働くことを通して社会貢献」なんて、
それこそ「意識高い系」状態になっている。

じゃあ、「みんなが社会起業家」なんて、
全然意味がないのか?

個人的には、ここで、今一度、
「みんなが社会起業家」論を、再考してみたい。

それは、従業員(つまり大半の市民)レベルでいえば、

「本業(働く)と社会貢献を分離したうえで、
 そのうえで、みんな(厳密には一人でも多くの人)が、
 社会貢献、社会の課題解決に寄与する」

具体的には…

・本業と地域活動、NPO、趣味を通した社会貢献といった、
 2足以上のわらじをはく(2枚目の名刺を持つ)

・週末社会起業家をめざす

といったところかな?

ま、現実問題、本業が忙しい人がほとんどで、
「休日は病欠のみ」なんて人だっている中では、

こんなの絵空事に過ぎない、という人が大半であることも、
またわかっています。

しかし、だからこそ、
「『働く』という行為について、改めて考え直す」必要がある。

それは個人レベルではどうこうできることは、
現時点ではほとんどない。

できることといえば、そういう人をきちんと見極めて、
応援することくらいでしょうか。

そして、時間をなんとか作ろうとする意志のある人中心に、
改めて「みんなが社会起業家」に向けて、
草の根的でもいいので、活動していくことが大切なのでしょう。


○世界的な社会起業家は、
無数の草の根活動家から安定輩出されるのでは?



最後に、ダイヤモンドの田坂氏インタビューから引用。

日本でわれわれが目指すべきは、
米国や英国にいる"スーパー・アルピニスト"のような
社会起業家を育てることではなく、

無数の"グラスルーツ・バックパッカー"を
育てることであると思っている。

どんな偉大な登山家も、
最初は小高い山に登る草の根登山家だったはずだ。

エベレストには登れないが、
近くの小高い山に登ろうとする人が無数にいる−。

日本がそういう国になれば、それはすばらしいことだ


個人的には、登山よりもサッカーのほうが、
たとえとしてわかりやすいと思うのです。

世界レベルのサッカープレイヤーが1人、
突然変異ではなく定期的に輩出されるには、

草の根サッカープレーヤーが、
数十万人くらいはいないと無理でしょう。

ブラジルがサッカー大国なのは、
国民の多数がサッカー好きで、サッカーしてるから。

日本が野球が強いのも、
少年野球クラブ、草野球チームが無数にあるからでしょう。

正直、現在の日本のNPO関係者、社会起業家たちは、
突然変異で登場したようなものじゃないでしょうか。

そうした突然変異のなかには、
世界的に見ても、"スーパー・アルピニスト"クラスの人も、
個人的には少なくないと思うのです。

ただ、いつまでも突然変異をあてにしていていいのか。

無数の"グラスルーツ・バックパッカー"がいてこそ、
その土台の上に"スーパー・アルピニスト"が、
定期的に輩出されるのではないか。

お父さんお母さんが地域活動していたり、
週末社会起業家をやっている中で、
子どもたちも関心が出てきて、
そこから優秀な社会起業家が輩出されるのではないか。

親が寄付する姿を見せる中で、
子どもも寄付に関心をもつのではないか。

そんなことを考えます。


次回は、新たな社会起業の担い手について、
別の角度から考えてみたいと思います。




※この記事は、P-SONICのHP記事より転載しております。
http://www.psonic.org
posted by ccc_summit_hiroshima at 12:30| Comment(0) | 社会起業トピック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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